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意識低し

横文字が嫌いです。
誰ともまだ共有できていない思惑が乗っかってしまうように感じるからです。
思惑とは、頑張ってる感とかすごい感、みたいな感じのことです。

そもそもなんとなく聞いたことある、とかそんな感じがする、と言った程度でしか意味を把握していないのに、調べもせず文脈から判断して使う羽目になることがほとんど。
いざ意味を調べてみると、そんな大層な話じゃなくてもっとシンプル(※この言葉だけは多用します)なことを伝えたいんだよな、ということがほとんど。

特にデザインとかそんな分野は、難しいことをシンプルにして行かないとどうにもならないと思うんですが、難しいことを難しいまま言い換えたり、難しいことをもっと難しくしたりするのは、ナンセンス(※頑張る方向を間違ってるという意味で使った)です。

業界用語みたいに村の常識が共有できてればいいこともあるんでしょうが、ルートが決まっている下請けというわけでもないので、そういうのはあまり役に立たないし好きでもありません。
これくらい勉強しとけよ、とか対等な相手に抱く感想ではないからです。
偉そうな物言いで無理難題を注文するならそれなりに勉強しろとは思いますが。

最近は日本語の勉強と言ったら大げさですが、日本語を使えるようになりたいわけです。
高校くらいまでは現在より本も読んでいたので、なんとなくの記憶を頼りに文体を作っているような感じです。
が、もう感動したような一節も思い出せないし、喩えや慣用句もなかなか思い浮かびません。
全然人の気を引くような気の利いた文章など書けませんが、それでもようやくとりとめのないものなら書ける、形にして外に出せるようになってきたわけです。
そしたらなんとびっくり、とりとめのないことならそれなりに喋り倒すことができるようになってきたわけです。
とりとめがないので、道に迷って着地点を見失うんですけどね。
繰り返しても飛び飛びになっても良ければ結構いけるというか、脱線しすぎて自分がいたたまれなく感じてしまう状態をシカトできる強心臓はまだ無いわけですが。
(まあ、前提として生来の人見知り秋田県人なので、仕事や趣味という舞台装置は必須なわけですが。。)

話が逸れました。
つまり、伝えるべくを伝えて、知ってもらうべくを知ってもらえて、考えるべくを考える心持ちになってもらって、向き合ってもらうべくを向き合うかどうかをちゃんと考えてもらえる、ということをしたいわけです。
横文字ではそれができないわけです。僕の場合。

だから、相手が横文字派の時はこちらを煙にまこうとしているのだな、と思ってしまいます。
厄介な感性ですね。
まあ、正確な意味がわからないのに違いはないので、一々どういう意味なのかを確認しても嫌な顔をしないでほしい所存であります。