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きょーよーがひつようだ

一泊だけでしたが生まれ育った秋田へ帰省してきました。

今までなんの気無しに泊めてもらっていた実家でしたが、ふとまじまじと眺めてきました。

今では父と母だけが暮らし、空いた子供部屋は半分物置のようになっているものの、昭和をちゃんと生きた両親の片鱗と言いますか、どこで買えるのか見当もつかない置物やら絵のようなものやら、なにか手間のかかりそうなものがたくさんあるうちだったりします。

特によく見るとでかい本が多い。百科事典とか。

 

今の時代、紙のでかい本なんて持たないじゃないですか、世の流れ的に。

昔の人の、こういうものをちゃんと揃える感覚、教養というものに取り組む姿勢はすごいなと思います。

そう、教養。今一番欲しいもの。いや、欲しがり続けるものか。

最近ネットで見かけたんですが、まったく手がかりがないものを検索するのって難しい、みたいな話題があって。

検索エンジンやAIが進化すればそれも解決できるのか、なんて論もあったり。

手がかりがないものを調べるって難しいですもんね。

なにが正解かわからないけど方法を調べなきゃいけない、とか、どこが悪いかわからないけどなんとかしなきゃいけない、とか。

地獄の解決スキルが求められる時、突破口を切り開くのが教養なんだと思います。

 

今自分はまずい問題を抱えているな、こういうところが原因だな、こう考えれば解決できるかもしれないな、そのためにこれをこうしてみようかな、という認識・認知ができないと地獄です。

どうなれば正解かわからないけどどこかに正しい方法があるかもしれないからとにかく調べよう、どこが悪いかわからないけどとにかく頑張ればなんとかなるかもしれないからがんばろう、なんて地獄以外のなにものでも。

その地獄を抜け出すために、もちろん知識は必要ですが、自分のものと認める必要があります。認識・認知です。

2次元の住民はその世界の厚みや曲面の様子を感じることはできませんが、3次元というものがあると知り認めることで自分の世界を見下ろす視点に想いを馳せることができるかもしれません。

そう、教養を武器に次元を超えないと話が進まねえ、っていう局面がたまに来るんです。

というわけで、実家より教養となってくれるであろうでかい本の一部を譲り受けてきました。

巻末を見ると昭和よんじゅ・・・私が生まれるより前じゃん。

50年ほど前の、当時の日本史資料。全体的に写真がやばい。ちゃんとした写真て、なかなかネットではたどり着けないものの一つ。

最近、日本の歴史くらいさっくり知っていないとまずいよな、と思うことが本当に多くて。

というわけでこのシリーズ。

てっきり親父の所有物かと思っていたら、なんと母のものだそうで。

曰く、「社会人になった機に揃えようと思ってコツコツと」とのこと。

当時の初任給が一万九千円くらい(あくまで記憶では)のときに一冊あたり千二百円て。結構いい値段。

そんな思い入れのあるものを譲り受けると知り改めて大事に仕事にその他に活かそうと思う次第。

母曰く「ほとんど読んだことはない」とのこと。