最近チームというものについて考える機会が嫌でもあるわけです。一筋縄では手に負えない仕事が増えてきたり、新しく仕事で関わる人が増えたり。

元々の社内の制作チームだったら、それぞれがその時の一番を持ち寄ってぶつければ調整できるんじゃね?くらいの作戦で行けるわけです。が、そんな汲みつ汲まれつみたいなのが誰とでもすぐにできるわけもなく。

そんな中、今年に入ってからわりとがんばる系のサッカーを始めました。チームに入ったのです。40も間近にして、真面目にチームスポーツに向き合うという状況は、実は貴重です。普通に生きている人にとって、自分の健康やボディメイクの為ではなく、はたから見たら大したことのない目標に向かって仕事でもないのにチームとして頑張っていく状況は稀なわけです。

これは冷静に考えると結構な状況です。楽しくやろうよ、という機会はたくさんあるんですが、ちゃんと練習しようぜ!なんて言えないわけです。普通。サッカーは自分も周りも上手くなればなるほど楽しいので、上手くなりたいのです。逆にそれを知ってしまうと、ちょっとづつでも上手くなり続けないと小さな不満が溜まり始めます。だからって基礎練してみんなで上手くなろうよ!なんてそうそう言えないわけです。

で、ラッキーなことに練習しようぜ!なんて言っても浮かないチームに入れたので嬉しい。自分の出来なさ具合と向き合いながらも、ちょっとづつ動けるようになったり、現役の時より上手くできることがあったり、それは楽しいわけです。個人としては。

で、そんながんばる系のチームなんですが、まとまる時とまとまらない時があるなーと感じることがあります。その様子が、仕事で関わる上手くいくチームいかないチームに似てるのかなーと思ったり。そこで、せっかくの趣味なのでチーム状況をよくできるような方法をいろいろ考えてやってみよう、と思ったわけです。まあ悪く言えば実験台ですが、うまくやる方法が見つかればチームもよくなるしみっけものということで。

まず、趣味の集まりなので皆サッカーが好きです。やりたくないのに嫌々やってるという人がいない前提です。やる気はあるはずなのに集まると何やら上手くいかない、というのは、普段の仕事でも起こる状況かなと思います。なんでだろうかと考えながら見ていたら二つくらい思い当たることがありました。

ひつとは、知識の差だったり技術の差だったり、何かしら直接のコミニュケーションが取りにくい状況を解消する仕組みがないこと。

ひとつは、自分にできること出来ないことを把握してると思い込んでいる状態、を見直す機会が無いこと。

ひとつめ、知ってる事が違うとなかなか話が通じません。

「そうじゃないでしょう。ちゃんとやってください。」みたいな会話がそれに当たりましょうか。自分も息子ができて思い当たるあるあるなんですが、「ちゃんとしなさい」がなんと意味のない言葉であるか。ちゃんと、というのがどんな状態でそのためにどうすればいいのかを知ってる間柄でしか意味を成さない言葉なのです。ちゃんとしなさい、しっかりしなさい、と言われて心底困ってどうすべきか迷っている我が子を見る悲しさというか、つい言ってしまった後悔みたいな酷い気分になります。

そう、まずはどういう状態が望ましくて、そのために色々な方法で実現させる事ができる、という事を最初に知らなければならないのです。

直接伝える知識もあれば、自分で考え気付くように導くこともあるでしょう。そこで出来上がった前提を忘れてしまった、蔑ろにしてしまったときのための「ちゃんとしなさい」です。

サッカーは短い時間、瞬間瞬間で意思の疎通と判断が求められるので、どうしても言葉でのコミニュケーションは短くなります。ちゃんと、と声をかける事で込められた意味が伝わるのが望ましいのですが、前提が共有できていないと、なんのこっちゃわからないが怒られたようだ、という事になってしまいます。場面や状況から「落ち着いてトラップしろ」なのか「もう少し間合いを詰めろ」なのか汲み取らなければ意思疎通が出来ないわけです。汲み取るためには、より良い状況や解決策を知識として知っていなければいけないわけです。

この、知識や技術のギャップがコミニュケーションの敵だとして、どうすればギャップを解消できるかというと、やはり知るしかないわけです。サッカーについて知らないよりサッカーについて知っていればそれだけ楽しいです。楽しむためなので頑張って知ればいいと思います。

仕事の場合、僕らの仕事の半分くらいは人様に提案という形で関係を持つのですが、分野問わず知っているという事が基礎になります。業務を進める上で知らない事は知るようにしないといけないのは勿論、自分の趣味趣向や時の運、通りがかりに目に止まった事、知ってる事は全て武器になります。逆に言うと知らないと話にならないわけです。知らなかった為に機会を逃した事にすら気付かないので目に見えるダメージは無いのですが、知らないと出来ない事、知らないと作り出せない事が数え切れないほどあるはずなんです。知らんけど。

だから、知ろうとしない、その姿勢自体は悪である、と断言します。

車輪の再発明という言葉がありますが、そんなかっこいい言い方では分かり難くて、僕が考えたさいきょうのデザイン、だとその恥ずかしさが伝わるでしょうか。必要な事を知っていればその陳腐さにも気づけたろうし、誰かの二番煎じ三番煎じではなく実用新案にできたかもしれないのに。

というわけで、知り難いことをどうしたら知る事ができようか。僕は今の会社に入る前、初めて社長と会った時に、アンテナ張っとけ、みたいなことを暗に言われて、以来、仕事をサボってでもネットサーフィンは欠かさないわけです。サボらず真面目に取り組んでクソみたいな物を仕上げてしまうであろう結末はヒリヒリするほど実感をもって想像できるので、会社員には向かないのだなーと思ってしまいます。というわけで、それなりに危機感を持って情報を集めて、咀嚼して、仮説を立てて、どこかで使ってみて、を繰り返すことで、ようやく「ちゃんと」がどういう状態のことなのかに思い当たる事が増えてきたように思います。どうすればそのようにできるかは毎度必死に向き合うしかないのですが。

そこでまずは、この仮説検証の様子を伝えてみると、理解してくれる人がいるんじゃないかなと思ったのです。試しに、ここ最近サッカーをする時に上手くなるために調べて実践してる内容を資料としてまとめて、チームの皆さんに見てもらおうと思い立ちました。

https://drive.google.com/open?id=0B_C8Sp4X0301SmJRZ3QtNWk3ZGM

https://drive.google.com/open?id=0B_C8Sp4X0301cHVGTlJ0cXJ0VVE

https://drive.google.com/open?id=0B_C8Sp4X0301eG12c3dyMm5WNE0

練習中、ある局面、「ちゃんと!」と言われてもどうしたらいいのかよくわからずに方向も定めずに頑張って走る、というような場面が少なくなく、僕らもたまに陥るブラックな瞬間とダブるわけです。頑張る事それ自体は尊いのですが、方向がある事なので無意味にもなりますしマイナスにもなります。自分の頑張りを正しい方向に向ける要素は、環境や運も勿論ありますが、大人なので知識で確実に。口頭で伝えるには多すぎるのでこのような感じにしてみたのですが、はたしてどうなるか。様子を見てみます。

それぞれの頑張りが正しく向いた時のチームの力ってグッときます。まだ何度も経験できたわけではありませんが。

というわけで長いので続きのもうひとつはまた。