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なにやらバタバタと時間に追われまして久しぶりになってしまいました。

たまに時間がかかる仕事があったりするんですが、だいたいいい時期に固まるわけです。

 

というわけで、ブログを書く時間があったら〜 という感じで、その他にあてがってしまっていました。

家族との時間もそのうちのひとつ、とくに息子殿が小学生となったもので、朝は早いはそのために早く寝なきゃだはで、ただでさえ少ない顔を合わせることの出来る時間が激減しているため、なんとかしないといけないわけです。

睡眠不足は仕事をする上で話にならないので論外として、休息というのは大事らしいです。

人間、たくさん寝れば復活大丈夫、というわけではないらしいです。

本当に寝なければならないときは、必要なのは「休息」ではなくて「安静」らしいです。

 

休息っていうのは、単純にいうとスッキリすること、やりたいことをやった、欲しいものを手にした、不満や不安をなくして落ち着いた状態になるということらしいです。

多少睡眠が足りなかろうが、身体的な疲労感が残っていようが。

よく遊べってことですね。

つまり、家族との時間とセットで自分が遊ぶ時間も確保してたってことですね。

 

休息が足りていないときの自分のダメさはよくわかります。

余裕が無いので、思考が刺々しくなるのがわかりますし、気に触ることが増えるというより触られてひりひりする部位が増えます。

そんな状態で、やんちゃ具合もそこそこに元気な盛りの1年生と相対そうものなら、怒ってしまうんです。自分の感覚ままで。

 

彼にとっては、なんか面白がらせようとか自分が面白いとか、すごく単純に、まっすぐ向かってきてくれてると思うんですが、なんかうざいとかうるさいとかくだらないことでイラッとして、で、怒っちゃうんです。

理不尽ですね。彼にとってはこの上なく理不尽。

誰かを傷つけては駄目、とか、怪我する死んでしまうから駄目、とか、注意されて教えられて彼が理解できる理由が無いんです。

パパがイラッとしたから駄目、とか。

理不尽ですね。

 

そうならないようにのんびりしたいところです。

のんびりしてたら勝手に色々わけのわからないことを話しかけてくれるわけです。

その翻訳はちょっと大変なんですが、外国語圏の人たちとのコミュニケーションみたいなもんです、「なんだろう?」と思って相対していると雰囲気くらいはわかるもんです。

これを汲み取ってあげないことには、汲み取ってあげようとしないことには、「英語で会話ができるようになるまで英語で会話するな」みたいな感じに「今きみが取り組んでるのはただの無理ゲー」というメッセージを伝えてしまうわけです。

月並みだけど「やれば出来る(こともあるからやってみよ)」っていうのは大事なわけです。実感できるものとして。

言葉で説明するのなんて無理ゲー、勉強なんて無理ゲー、お手伝いなんて無理ゲー、そうやって全部無理ゲーと思ったら馬鹿になってしまいます。

そう、頭の良し悪しなんて関係なくて、自分のことを馬鹿と思ってる人のことなんですよね。馬鹿って。

(自分のことを天才と思っている人が天才、というのも成り立てばいいのに)

 

僕もいい年なので、徐々に人に教えたりする機会が増えつつあります。

今までもそういう機会は少ないながらあったわけですが、息子が生まれて向き合った今、振り返るに相当あれでしたね。

がんばります。